ハニベ巌窟院

ハニベ巌窟院

ハニベ巌窟院

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院初、北陸!である。2003年の年末、山中温泉でごろごろ過ごそうと石川県に到着。冬の日本海側は雪だろうという期待を見事に裏切り、山間にうっすらと雪はあるものの、積雪ゼロの快晴であった。

石川県の名所なら、金沢の兼六園がメジャー。しかし自分の中での石川県は、北陸秘宝館(既に閉館)と、石川県人なら皆知っている(だろう)ハニベ巌窟院だ。

聞き慣れない「ハニベ」に加え「巌窟院」。一度聞いたら忘れられないインパクトのあるネーミングである。数年来、気になって仕方なかったのだが、ついにその全貌をこの目で確かめることができた。

なお今回は、わかりやすいように簡単にハニベマップ(ハニベ岩窟院の敷地内マップ)を描いてみた。

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院のどかな田畑の広がる田舎に、突如としてハニベ巌窟院は存在するのである。というより、いきなり巨大な大仏の頭が出現すると言った方が正しい。

夜道でクルマのライトに照らされ出現した日には、かなりビックリである。しかし、周りにはいくつか住居があったが、大仏はごくフツーに存在してとけ込んでいた(ように見える)。この大仏の頭部分、既に15mあり最終的には高さ33m、奈良の大仏の2倍の大きさを予定しているという。恐るべしハニベ。

さて、入ろうとすると受付で何やら話し込んでいるカップルの姿が。神妙な顔つきで何やら執拗に質問している様子。割って入る訳にもいかず、売店でジュースを買ってしばし時間を潰す。見学した後なのか、する前なのかは不明だが、結局5分以上話し込んでその場を去っていった。

その後、受付へ行くとお金を払ってすんなりと敷地内へ通される。さっきのカップルは人生相談でもしていたのだろうか?

ところで、ハニベとは何か。パンフレットによれば、昔は埴輪(ハニワ)を作る人のことを土部師(ハニベシ)と言ったのだそうで、現在の彫塑家をハニベ(師は敬語)と言うのである。

そのため、現在の彫塑家(ハニベ)である初代院生 都賀田勇馬氏が創設したので、ハニベ岩窟院。そのコンセプトは「戦禍の犠牲者の霊を慰め、世界平和を願う一大悲願」。道なき道を拓いて、この洞窟に三千諸仏をまつったのである。

現在は勇馬氏の長男である都賀田伯馬氏が、ハニベ巌窟院二代院生。「創設の精神に基づいて自然と宗教と芸術を一体化した理想郷をつくること」がハニベ岩窟院ちなみに看板に「仏の里 ハニベ」とあるように、ここは釈尊をご本尊とする洞窟の寺院なのである。

まずは、大仏の頭の下に入ってみる。胎内堂というモノかと何の気なしに入って、一瞬にして凍り付いた。おびただしい数の緑色の小さなお地蔵様がびっしりである。赤いよだれかけをしているお地蔵様と、周りにはぬいぐるみや風車。ううう、水子地蔵だ。どーにもこの雰囲気は苦手なので、そそくさと退散。

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院大仏の周りの庭はまたしても水子地蔵と思わしきモノ、そして完成予定の大仏の縮小、馬などの彫刻がポツポツと存在する。

小さな池があり、端の方では水があふれ出して、池と陸の境がなくなっている。ポンプで水をくみ上げて排出しているようであったが、どう見ても追いついていない。願わくば、池の魚が外に出ませんように。

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院薄暗い道を登ると、左手に小さな建物。扉の隙間から見えるのは、またしても緑色のお地蔵様の集団。雰囲気が怖いので、見なかったことにする。

道を登り切ったところに「自然陰石」の看板。隕石ではなく陰石。石の女陰ですな。陰石の前には、おそらく朽ち果てて崩落したと思われる物見台が。

陰といえば陽であるが、この陰石の対になる陽石(男根石)は、山中温泉にあるという。既に山中温泉を後にしていたので、コレを知ってちょっと悔しい。リベンジ山中温泉。

後日、陰陽石を探して再び山中温泉に行ってきました。その模様は別ページでどうぞ。

陰陽石探訪へ

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院陰石を後にすると、右手に「ハニベ道場」という建物があった。入口は空いていて、土間に生活感溢れる履き物が何足かあったが、電気はついていない。道場というぐらいだから、ハニベの修行場なのかもしれない。なんとなく見学ポイントではない雰囲気を感じたので入らず。

道の脇にはハニベと描かれた灰皿らしきものがあり、ハニベの文字が人の顔にも見える。道場で作っているのかもしれないが、ここの雰囲気と違ってラブリーな灰皿だ。

視界が開けたところに現れるのが、阿弥陀堂と美術館。阿弥陀堂には、ちょっと風化した感じの阿弥陀如来、親鸞、弘法大師、日蓮の石像がある。電気はついているものの、石像には苔が生え、壁からは水がしみ出していたりで、かなり湿っぽい。

美術館は普通の家屋で、初代、二代目のプロフィール、そして幾つかの彫刻が飾られている。プロフィールによれば、金沢兼六園に初代の作品である「夢牛」が、小松航空自衛隊には二代目の「天地人(群像)」「竜神」といった作品があるようだ。地元ではやはり有名と思われる。

ハニベ巌窟院ハニベ巌窟院ところで、洞窟の寺院というとインドやミャンマーなどにいくつか存在するようで、インドのエローラ洞窟寺院というのが世界遺産で有名らしい。

しかし日本にある洞窟寺院というのは、調べて見るとこのハニベと、神奈川にある田谷の洞窟ぐらいである。そういう意味では、かなり貴重なのだ「ハニベ岩窟院」。

さて、かなり天井が低い入口を抜け、メインの岩窟院へ。(右の写真が入口)

ハニベ巌窟院薄暗い洞窟内は、あまり天井が高くなく、迷路のように入り組んでいる。東洋の神々の石像、釈迦を中心とした石仏、そして人間の業による様々な地獄、世相を風刺した石像・・・岩窟院の中には、様々な小世界が広がっている。

天井の低さからくる圧迫感と、洞窟内の薄暗さ、地獄の気持ち悪さに辟易して、一度もシャッターを押す気にならなかった。(右は売店で買った絵ハガキ)

二代目は世相風刺がお好きなようで「ノーパンしゃぶしゃぶ」やら「セクハラ知事」「毒カレー」など、ワイドショー並みの世界が広がる。果てはあのビンラディンまでいたりして、ここが洞窟寺院であるのを一瞬忘れ去るほどだ。「創設の精神に基づいて自然と宗教と芸術を一体化した理想郷」は、なんとなく不思議な方向へ進んでいるような気がする。

ハニベ巌窟院順路通りに洞窟を巡り終わると「この出口は足腰に自信のない方は元へお戻りください。」という趣旨の看板に出くわした。しかし、薄暗い洞窟をまた戻るのがイヤだったので、出口への狭い階段を上る。果たしてそこには、濡れそぼった落ち葉で埋め尽くされた急な坂道があった。さらに坂を上ると涅槃象があるらしいのだが、道のぬかるみがひどく雨が降り出してきたので中止。坂を下って戻ることにする。

しかし、濡れ落ち葉というのは滑るのである。転ばないようによろよろしながら、脇の手すりにつかまろうかと近寄れば、強風で手すりがぐらぐらと揺れている。否、手すりの根元が腐って宙に浮いているのであった。しかも、根本が浮いているのを斜面の木からロープで支えてある。雪で埋もれていたら、うっかりつかまっていたかもしれない。

なんとか池までたどり着くと、手に緑色の小さな地蔵を持った一人の女性とすれ違った。その時、受付で長々話をしていたカップルが何を相談していたのか想像がついた。岩窟院の彫刻が観光客には人気かもしれないが、地元では本来の寺院としての重要な役割を果たしているのだろう。水子地蔵に風刺地獄。人間の業の深さを感じさせてくれる奥深いスポットである。

2004/11/6 追記
えーと、こんなニュース(「水子除霊」とわいせつ=奇仏「巌窟院」の院主逮捕ー石川 )が・・・。ハニベどうなっちゃうんでしょう。

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2005/06/21 キムチン様より情報をいただきました。
つい先日友達を連れて行って来たんですが、なんと二代目の作品が全て撤去されていました!ノーパンシャブシャブとかビンラディンとかサッチーとか、もうないのです。
地獄の所はあちこち空きスペースになってました。二代目の存在を消したいのでしょうか...。
ちなみに入場料は前と変わらず800円でした。
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ある意味、二代目の作品が見所でもあったのですが、いろんな意味で間違った方向に進んでしまったのが、元に戻ったということですね。しかし、石像だから撤去するのも大変だったろうなーと思います。
情報ありがとうございました。