みちのく伊達政宗歴史館
2010年の年末。旅行先に選んだのは、杜の都仙台。仙台には何度か行っているのだが、実は観光をしたことがなかった。
そこで、2010年の年末は松島〜仙台のみちのく旅に決定。今回はそのみちのく旅から「みちのく伊達政宗歴史館」をご紹介する。
「みちのく 伊達政宗歴史館」は、伊達政宗の生涯を等身大の蝋人形で再現している場所である。その数250体越え。25の再現シーンで構成されている。
そして受付の人に聞いたところ、館内写真撮影OK!みちのく、太っ腹です。
入って正面に、馬に乗った伊達政宗がお出迎え。金色の細い月が印象的な兜と真っ黒な甲冑がカッコイイ。
スターウォーズのダースベーダーの外見が、この伊達政宗の具足を元にしているというのは有名な話。
が、しかし!!その横にもっさり立っているオッサンの方が妙に気になってしまった。それが右の写真の彼である。眉毛、まつげ、リアルな造形...「ああ、こういう顔の人いる!」と、伊達政宗よりも名もない兵士の蝋人形に大興奮。蝋人形ってスゴイ。
ということで、肝心の伊達政宗の写真を撮り忘れた。
次に続くのは、みちのくの偉人たちのコーナー。全部が全部「伊達政宗」だと勝手に思っていたから、この展開にちょっとビックリした。東北6県の青森県、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県の主な偉人が並んでいる。
「岩手県」出身の政治家。知っていたのは右端の鈴木善幸。総理大臣だった頃、リアルタイムで見ている。
「岩手県」出身のコーナー。右端の石川啄木は教科書で、左から二番目の新渡戸稲造は五千円札でお目にかかった。
「山形県」出身のコーナー。知っていたのは右端の土門拳と、左端の斎藤茂吉。もう、誰かを当てるクイズみたいだ。
ここの蝋人形は、ただ単に似ているだけでないのがスゴイところ。その人の職業等にあわせた造作が加わることで、ものすごくリアリティが生まれているのだ。
左の写真は、有名な版画家の棟方志功。見よ!このイキイキした豊かな表情を。一気に作業中の雰囲気が伝わってくるような臨場感が生まれている。ちなみに青森県出身だそう。
他にも宮沢賢治(宮城県)、小林多喜二(秋田県)など、教科書でお目にかかった人たちもいた。
たぶん、野口英世(福島県)もいたと思うが記憶にない。
最後に「21世紀時の人コーナー」というのがあり、小泉元総理、ノーベル賞を受賞した小柴さん、野球の松井選手がいた。小泉さんは、伊豆ろう人形美術館の出口にもいたなーと思い出す。ということは、小泉蝋人形は最低2体あるってことだ。人気者だなぁ。
【補足(2013.8 現在)】
・みちのくの偉人たちのコーナーは、修復作業中のため展示見合わせ。
・21世紀時の人コーナーの展示は終了。
(※詳しくはみちのく伊達政宗歴史館のサイトでお確かめください。)
そしていよいよ、メインコーナー。「伊達正宗公の心を訪ねて」のゲートをくぐると、伊達政宗公の生涯の数々のシーンが、蝋人形によって表現されている。
伊達政宗の生涯再現シーンを見ていると、表情の豊かな蝋人形達の繰り広げるジオラマ的な何かが、自分をワクワクさせる。蝋人形の表情はもちろん、造作、周りの小道具や背景まで手を抜いていないのだ。
また、各シーンの手前には説明文があるのだが、これが日本語以外に英語、中国語、韓国語と外国人にも配慮した丁寧なもの。作り手の意気込みが、見事に全体の完成度の高さに繋がっていると思う。
さて、伊達政宗の数々のエピソード、偉業をサラッと。
・失明は5歳の時。疱瘡(天然痘の俗称)によるもの。そのせいで実母からは疎まれた。
・13歳で結婚。15歳で父に従って初出陣。
・18歳、父が隠居。家督を譲り受け、伊達家17代当主となる。しかも翌年、父が策略により惨殺される。
5歳の時、疱瘡(ほうそう)を患い右目失明。これが独眼竜なる所以。
13歳。三春城主田村清顕の息女愛姫と結婚。え!13歳!?
これが愛姫だ。何故かオッサン顔なんですけど・・・。
今と時代が違うとは言え、18歳までにすっかり大人になる要素が詰まっていて、やはり上に立つ人というのは人間ができているというか、何かが違うのかなぁと思わせる。
・親の仇討、二本松城を攻略。米沢城に凱旋。
・自らの手で奥州一番の二百万石の大国を作り上げる。
・秀吉から小田原参陣を命じられるも、決死の演出で遅れて陣営に臨む。正宗の服属により秀吉が日本統一を達成。
・百姓一揆を鎮圧。が、一揆扇動の嫌疑をかけられる。
・豊臣秀次が謀反の嫌疑で切腹。政宗も謀反の関与を疑われる。
・秀吉死去。関ヶ原の戦いなど、歴史の教科書に載っているようなことが起きる。
15歳、初出陣のシーン。奧にある城壁の上にも人がいて、物凄く凝っている。
支倉常長をヨーロッパに送り、ローマ法王パウロ5世に親書を提出。
大坂夏の陣で豊臣滅びる。猛火に包まれた大阪城を見て、感慨にむせび泣く。
・仙台城および城下町の経営に努力。豪壮華麗な薬師堂、瑞巌寺などの造築が行われた。
・またもや謀反の嫌疑をかけられる。支倉常長をヨーロッパに派遣。
・大坂冬の陣、そして、大坂夏の陣。さらには家康死去。
・70歳、江戸にて死去。
びっくりなのは、出る杭は打たれるというか人生で3度も扇動や謀反の嫌疑をかけられていることだ。その度に、死装束で入洛したり、一か八かの強舌といった捨て身の戦術で窮地を脱している。頭が良くて、機転が利く人間でないとこういうことはできない。
さらには、自分が統治する仙台の開発、大土木計画から農村の支配強化、産業の拡張する経営力の凄さ。書や能、茶道にも通じ、藩の文化を高揚させるなど、現代の政治家でもここまでの人はいないだろうというぐらい、伊達政宗最強。
実はここに来るまで、伊達政宗の生涯については何一つ知らなかった。持っている情報は、金色の細い月が印象的な兜と真っ黒な甲冑にアイパッチ...という超偏ったもの。しかし、現存する肖像画像などには両目が描かれており、アイパッチはしてない。もちろん、ここの蝋人形もアイパッチはしていない。アイパッチは、戦国BASARAや戦国無双といったゲームの影響だ。ゲーム、恐るべし。
大人から子供まで、そして外国人でも、伊達政宗の生涯をわかりやすく見て学べるそんな場所。特に歴史好きじゃなくても、十分楽しめます。建物の外には観光スポットの王道アイテム、伊達政宗の顔ハメ看板もあるよ。
現在は城跡しか残っていない仙台城だが、その全貌や正宗が仙台を発展させた過程などを、資料館のCGシアターでわかりやすく見ることができます。
尚、伊達政宗所用の具足(重要文化財)や、伊達政宗画像、甲冑像などの歴史的資料は、仙台市内にある「仙台市博物館」で見ることができる。
日本三景のひとつ「松島」。松島は、260余りの島々からなる湾一帯を指す。
都会的な仙台からちょっと足を伸ばした場所なのに、情緒豊かな美しい風景が広がっている。
みちのく伊達政宗歴史館以外にも、湾が一望できる高台や、伊達政宗の菩提寺の国宝 瑞巌寺、湾巡りの遊覧船など観光スポットも多い。
温泉や海の幸にも恵まれ、日帰りでも泊まりでも楽しめるのでオススメ。
【参考リンク】
・松島観光協会
・国宝 瑞巌寺
・松島島巡り観光船企業組合